筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる
小倉百人一首から、陽成院の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
陽成院
筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※使者に持たせて釣殿内親王(つりどののみこ)に送った歌。
筑波山の峰から流れ落ちるみなの川の深いところのように、私の恋も積もりに積もって淵のように深くなったのだ。
※三句切れ。
※係り結びや係助詞の解説は「古典の助詞の覚え方」をご確認ください。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌がよまれた事情を説明する短い文のことで、和歌の前に置かれます。
釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかはしける(※使者に持たせて釣殿内親王に送った歌。)
※詞書の引用は『新日本古典文学大系 後撰和歌集』(片桐洋一、岩波書店、1990年、227ページ)によります。
筑波嶺【つくばね】
●つくば【筑波】《奈良時代、ツクハと清音》
常陸国筑波郡地方、筑波山南西の地。「新治(にひばり)―を過ぎて幾夜か寝つる」〈記歌謡二五〉
●―やま【筑波山】
①常陸国筑波郡の東北端にある名山。「―隠れぬほどに」〈万三三八九東歌〉
●つくばね【筑波嶺】つくばやま【筑波山】
『万葉集』の時代には「つくはね」「つくはやま」というように清音であったらしい。常陸国の歌枕。今のつくば市、真壁(まかべ)町、八郷(やさと)町にまたがる山。山頂が男体山と女体山の二峰に分かれているので「筑波嶺(つくばね)の峰より落つる男女川(みなのがは)恋(こひ)ぞつもりて淵となりぬる」(後撰集・恋三・陽成院、百人一首)というような表現が生まれたのである。関東平野のいずれからでも望見できるので、古代人の憧れの山となり、古来多くの歌によまれた。(後略)
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
(※筑波山の様子は茨城県公式観光情報サイト 観光いばらきで見られます。)
補足:筑波山
※筑波山は茨城県のほぼ中央に位置します。
みなの川
筑波山から発する河。筑波山の山頂が男体山と女体山に分かれているので、男女の河とも書く。(『新日本古典文学大系 後撰和歌集』227ページ))
ふち【淵】
①湖・池・川などで、水が淀んで深くなっているところ。「わが行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて―にあらぬかも」〈万三三五〉
作者:陽成院(ようぜいいん) 陽成天皇(ようぜいてんのう)について
貞観(じょうがん)10年(868)~天暦(てんりゃく)3年(949)。父は清和天皇(せいわてんのう)、母は二条后高子(にじょうのきさきたかいこ)。
元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の子供です。
貞観18年(876)に9歳で天皇に即位し、元慶(がんぎょう)8年(884)に17歳で退位し、上皇(じょうこう)となりました。「院」は、上皇や法皇などを指す言葉です。
陽成天皇が退位したあと、光孝天皇(こうこうてんのう)が次の天皇になります。天皇の系統は光孝・宇多・醍醐とつづいていき、清和・陽成の系統にもどることはありませんでした。
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