たちわかれいなばの山の峰におふる待つとし聞かばいま帰りこむ
小倉百人一首から、中納言行平(在原行平)の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像ものせております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
中納言行平
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば いま帰り来む
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
出立しお別れして、去って行ったならば、そこはもう因幡(いなば)の国です。その因幡山の峰に生えている松ではないけれど、「私を待っている」と聞いたならば、今すぐにも帰ってまいりましょう。
※掛詞(かけことば)は、「○○ではないけれど、□□のように……」と訳すときれいにまとまる場合が多いです。
※未然形に接続助詞「ば」がついて、順接仮定条件「もし~ならば」を表わします。くわしい解説は「古典の助詞の覚え方」の接続助詞の項目をご覧ください。
※ナ行変格活用動詞は「死ぬ」「往(去)ぬ」の2つだけです。そのほかの変格活用動詞(カサナラ変)は「古典の動詞の活用表の覚え方」でご確認ください。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
たち
た・ち【立ち】
〘四段〙《自然界の現象や静止している事物の、上方・前方に向う動きが、はっきりと目に見える意。転じて、物が確実に位置を占めて存在する意》
➊自然界の現象が上方に向って動きを示し、確実にくっきりと目に見える。①(雲や霧などが)たちのぼる。「雲だにもしるくし―・たば何か嘆かむ」〈紀歌謡一一六〉。「君が行く海辺の宿に霧―・たば吾が立ち嘆く息と知りませ」〈万三五八〇〉
➌【起ち・発ち】ある地点に静止している事物が運動をおこす。
①(伏せているものが)身を起す。「川副楊(かはそひやなぎ)水行けば靡(なび)き起き―・ちその根は失せず」〈紀歌謡八三〉
⑤出発する。出かける。「都辺(みやこへ)に―・つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ」〈万三九九九〉
いなば【因幡】
「因幡の峰」「因幡の山」という形でもよまれた。今の鳥取県。因幡山は岩美郡国府町にある。「往(い)なば」と掛詞にして、「松」に「待つ」を掛けた「たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいまかへりこむ」(古今集・離別・行平、百人一首)という歌で有名となり、その後、『新古今集』の時代に盛んによまれた。「忘れなむまつとな告げそなかなかにいなばの山の峰の松風」(新古今集・羇旅・実家)「忘るなよ秋はいなばの山の端に又こむ頃をまつの下風」(秋篠月清集)などがその例である。(後略)
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
まつ
(※「松」と「待つ」を掛ける。)
●まつ【松】
①マツ科の常緑樹。長寿・不変の象徴として古来尊ばれた。「待つ」とかけていうことが多い。「薪樵る鎌倉山の木垂る木を―と汝が言はば恋ひつつやあらむ」〈万三四三三〉。「定めなくあだに散りぬる花よりは常盤(ときは)の―の色をやは見ぬ」〈後撰五九七〉
●まつ【松】
常緑樹であるので「常磐なる松の緑も春来れば今ひとしほの色まさりけり」(古今集・春上・宗于(むねゆき))のように「常磐の松」「松の緑」とよまれ、「音にのみ聞きわたりつる住吉の松の千歳(ちとせ)を今日見つるかな」(拾遺集・雑上・貫之)のように「千歳」という語とともによまれることも多く、同じく千歳の瑞祥である「鶴」とともに「我が宿の松の梢に住む鶴(つる)は千代(ちよ)の雪かと思ふべらなり」(貫之集)とよまれることもあった。(中略)また「何せむに結びそめけむ岩代の松は久しきものと知る知る」(拾遺集・恋二・読人不知)というように「松」と「待つ」を掛け「久しき」という語で寿ぐのも、この松の永遠性を根底においているからである。(後略)
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
いま【今】
〘名・副〙
①現在。まのあたり。「のちにも逢はむ―ならずとも」〈万六九九〉。「むかしを―になすよしもがな」〈伊勢三二〉
③今すぐ。「―助(す)けに来(こ)ね」〈記歌謡一四〉。「まつとし聞かば―帰り来む」〈古今三六五〉
作者:在原行平(ありわらのゆきひら)について
平城天皇の孫
弘仁(こうにん)9年(818)~寛平(かんぴょう)5年(893)。平城(へいぜい)天皇の皇子、阿保親王(あぼしんのう)の子。母は桓武(かんむ)天皇の皇女、伊都内親王(いずないしんのう)かと考えられています。在原業平(ありわらのなりひら)は弟です。
正三位(しょうさんみ)中納言(ちゅうなごん)になり、在納言と呼ばれました。
因幡守(いなばのかみ)
在原行平は斉衡(さいこう)2年(855)に因幡守に任命され、因幡の国(今の鳥取県)へ行きました。
「かみ」とは、律令制(りつりょうせい)における役所の管理職を4等級にわけた中の最高位です。
地方を管理するのが国司(こくし)という官庁で、守(かみ)はその中でトップの地位です。現在の県知事にあたるような役職と言えます。
須磨(すま)に流された行平と松風(まつかぜ)・村雨(むらさめ)の伝説
古今和歌集
『古今和歌集』によれば、行平は文徳(もんとく)天皇の時代(在位850~858年)に、何らかの事情で須磨(すま)(現在の兵庫県神戸市)に隠居しなければならなかったようです。以下、本文です(引用は『新日本古典文学大系 古今和歌集』288ページによります。)
●古今集・雑歌下、962
原文
田村の御時(おほんとき)に、事に当(あた)りて、津国(つのくに)の須磨と言ふ所に籠(こも)り侍(はべり)けるに、宮のうちに侍ける人に、遣(つか)はしける
わくらばに問(とふ)人あらば須磨の浦にもしほたれつつ侘(わ)ぶとこたへよ
訳
文徳天皇(田村帝)の御代(みよ)に、事件に遭遇して、摂津の国の須磨というところに閉じこもって外出しなかったとき、宮中にお仕えする人に、使者に持たせて送った歌。
たまたま私のことを尋ねる人がいたら、「藻を焼いて塩をつくるというあの須磨の浦でわびしく暮らしている」と答えてください。
潮を取る意味の「藻塩垂れ」と、泣く意味の「しほたれ」を掛けています。
謡曲「松風」
須磨はさびしいところのイメージとして和歌によまれましたが、『源氏物語』の須磨の巻・明石の巻の存在が、そのイメージをいっそう強めました。
行平の歌や『源氏物語』に着想を得て世阿弥(ぜあみ)(1363~1443年)がつくったのが能の「松風(まつかぜ)」です(原作は父の観阿弥とされる)。
あらすじは次のとおりです。
海士(あま)である松風・村雨姉妹が潮汲みに出かけたところ、須磨に流された行平と出会って愛される。やがて行平は都に帰って行き、二人はなげき悲しむ。時代がくだって、須磨をおとずれた旅の僧侶が松風・村雨姉妹の幽霊に出会う。話を聞いた僧侶が二人の冥福を祈ると、霊は消え去っていった。
以上の物語は歌舞伎(かぶき)や邦楽に受けつがれて、「松風村雨物(まつかぜむらさめもの)」という一連の作品が生まれました。
歌舞伎には「汐汲(しおくみ)」という舞踊作品があり、現在でもたびたび上演されています。
●参考文献
・『新日本古典文学大系 謡曲百番』(西野春雄、1998年、岩波書店)
・『新編日本古典文学全集 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(片桐洋一・高橋正治・福井貞助・清水好子、1994年、小学館)
・『土屋の古文常識222』(土屋博映、1988年、代々木ライブラリー)
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