あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
小倉百人一首から、柿本人麻呂(人麿・人丸)の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
柿本人丸
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
山鳥の長く垂れ下がっている尾のように、長い夜をひとりで寝るのだろうか。
▽万葉集十一・作者未詳歌の或本の歌。(引用『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』小町谷照彦、岩波書店、1990年、226ページ)
※枕詞(まくらことば)…音や意味から特定の言葉をみちびきだす言葉を枕詞と言います。ほとんどの場合、5音(5文字)におさまります。
※序詞(じょことば)…音や意味から特定の言葉をみちびきだす言葉で、5音(5文字)以上のものを序詞と言います。
※「しだり尾の」の「の」は格助詞で、連用修飾の用法です。用言(動詞・形容詞・形容動詞)に連なる(かかる)ので連用修飾と言います。
※「か」は疑問の係助詞。係り結びは連体形です。助詞については「古典の助詞の覚え方」にまとめてあります。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
あしびきの
●あしびきの
〔枕詞〕《奈良時代にはアシヒキノと清音》
「山」「峰(を)」などにかかる。かかり方は未詳。「―山行きしかば」〈万四二九三〉。「―峰(を)の上(へ)の桜」〈万四一五一〉
●あしひきの【足引の】
「山」もしくは「山桜」「山橘」など「山―」という形の熟語に掛かる枕詞として『万葉集』の時代から頻用されたが、「山」に続く理由はわからない。また中世には「あしびき」と「ひ」を濁っていたが、どの時代から濁るようになったかも必ずしも明らかでない。「あしひきの山のもみちにしづくあひて散らむ山路を君が越えまく」(万葉集・巻十九・家持)「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」(拾遺集・恋三・人麿、百人一首)などがその例であるが、「あしひきの葛城山」(拾遺集・恋三・読人不知)「あしひきの岩倉山」(新勅撰集・賀・頼資)のように山の名に続く場合や「あしひきの大和」(新勅撰集・秋下・雅経)のように「やま」ではなく「やまと」に続くような例もあった。
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
やまどり【山鳥】
●やまどり【山鳥】
キジ科の鳥。昼は雌雄一処におり、夜は谷を隔てて寝るという言い伝え
があった。「あしひきの―こそば峰(を)向ひに妻問ひすといへ」〈万一六二九〉。「夜半のあらしに―の心地してあかしかね給ふ」〈源氏総角〉
●―の【山鳥の】
〔枕詞〕
山鳥の尾と同音の「峰(を)」にかかる。「白雲のへだつるかたや―をの上に咲ける桜なるらむ」〈続千載九六〉
しだり尾
●しだ・り【垂り】
〘四段〙《シデ(垂)の自動詞形》
細かい枝状に分れて、長く下方に下がる。長く垂れ下がる。「垂、此をば之娜屢(しだる)といふ」〈紀孝徳、大化一年〉。「柳もいたう―・りて」〈源氏蓬生〉
●―を【垂り尾】線状に長く垂れ下がっている尾。「あしひきの山鳥の尾の―の」〈万二八〇二〉
かも
複合係助詞及び終助詞。疑問詞を承ける。「か」の下に「も」を添えた助詞である。従って体言または活用語の連体形を承ける。
「も」は不確実な提示、あるいは不確実な判断を表わすのがその本質的な意味であるから、「かも」となった場合も単独の「か」の持つ疑問の意を受けつぐ(1)。(中略)
(1)「冬の林につむじかもい巻き渡ると思ふまで」〈万一九九〉「角田の(すみだ)河原に独りかも寝む」〈万二九八〉「この夕べ降り来る雨は彦星の早漕ぐ船の櫂の散沫(ちり)かも」〈万二〇五二〉「梅の花しだり柳に折りまじへ花にまつらば君に逢はむかも」〈万一九〇四〉「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも」〈万七八六〉(後略)
作者:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)について
生没年未詳。柿本人麻呂の生まれた年も死んだ年もよくわかっていません。また、家系なども未詳です。
『万葉集』に80首以上の歌が見られ、天武(てんむ)・持統(じとう)・文武(もんむ)の3代の天皇の時代(673~707年頃)に和歌をよむことで活躍したと思われます。
『万葉集』の表記は「人麻呂」ですが、後の時代には「人麿」「人丸」などと書かれました。
三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)
人麻呂は三十六歌仙の一人に選ばれています。
三十六歌仙とは、平安時代の半ばに藤原公任(ふじわらのきんとう)(966~1041年)がつくった『三十六人集』(『三十六人撰』とも言う)にもとづく36人のすぐれた歌人のことです。
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