山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば
小倉百人一首から、源宗于朝臣の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
源宗于朝臣
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※冬の歌といって、よんだ歌。
山里は、冬が特にさびしさのまさって感じられることだ。人のおとずれもとだえて、草木も枯れてしまうから。
※係り結びと係助詞の解説は「古典の助詞の覚え方」をご覧ください。
※倒置(とうち)。倒置とは、文の順番を逆にいれかえて強調することです。第4・5句目(人のおとずれもとだえて、草木も枯れてしまうから)から、第1~3句目(山里は冬が特にさびしさのまさって感じられることだ)につながっていきます。
※3句切れ。終止形や係り結びのあるところで、和歌の意味が切れる場合が多いです。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌のよまれた事情や背景を説明した短い文で、和歌の前につけます。
冬の歌とて、よめる(※冬の歌といって、よんだ歌。)
※詞書の引用は『新日本古典文学大系 古今和歌集』(小島憲之・新井栄蔵、岩波書店、1989年、105ページ)によります。
やまざと【山里】
①普通は人の住まない山にある人里。山の中の里。「春たてど花も匂はぬ―は物憂かるねにうぐひすぞ鳴く」〈古今一五〉
ひとめ【人目】
①他人の見る目。世人の注目。「止まず行かば―を多み、まねく行かば人知りぬべみ」〈万二〇七〉
④人が会いにくること。人の出入り。「山里は冬ぞさびしさまさりける―も草もかれぬと思へば」〈古今三一五〉。「宮のうち、やうやう―見え」〈源氏蓬生〉
かれ
(※「枯れ」と「離れ」を掛ける。)
●か・れ【離れ】
〘下二〙《空間的・心理的に、密接な関係にある相手が疎遠になり、関係が絶える意。多く歌に使われ、「枯れ」と掛詞になる場合が多い。(略)》
①間遠になる。途絶える。「珠に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす―・れず来むかも」〈万三九一〇〉。「世の中の人の心は、目―・るれば忘れぬべき物にこそあめれ」〈伊勢四六〉
作者:源宗于(みなもとのむねゆき)について
光孝天皇の孫
生年未詳。源宗于の生まれた年はよくわかっていません。天慶(てんぎょう)2年(939)に没しました。
光孝天皇(こうこうてんのう)の皇子、是忠(これただ)親王の子です。
右京大夫(うきょうのだいぶ)
承平(じょうへい)3年(933)、正四位下(しょうしいのげ)右京大夫(うきょうのだいぶ)になりました。
※右京大夫…右京職(うきょうしき)の長官。京の行政・司法・警察を担当するのが京職(きょうしき)で、左京と右京にわかれました。南を向いた(南面した)天皇から見て、左側が左京(京の東半分)、右側が右京(京の西半分)です。
三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)
源宗于は三十六歌仙の一人にあげられます。
三十六歌仙とは、平安時代中期に藤原公任(ふじわらのきんとう)(966~1041年)がつくった『三十六人集』(『三十六人撰』とも言う)にもとづく36人のすぐれた歌人のことです。
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