やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな
小倉百人一首から、赤染衛門の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
赤染衛門
やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※藤原道隆(ふじわらのみちたか)が少将でございましたとき、作者の姉妹である人のもとに恋人として通っていましたが、ある日、道隆があてにさせておいて訪れてこなかった、その翌朝、女の代理としてよんだ歌。
あなたが来ないと知っていたら、ためらわずに寝てしまったのですが、あなたをお待ちして、夜が更けて西の空にかたむくほどの月を見てしまったことです。
※「まし」は反実仮想(はんじつかそう)(~だったら…なのに、でも実際は~でないから…でもない)の意味を表す助動詞です。多くの場合、条件を表す表現(「ば・は」など)を伴いますが、今回は省略されています。「やすらはで寝なましものを」は、「(あなたが来ないことがあらかじめわかっていたら、)ためらわずに寝てしまったのに、(でも実際は、来ないことがわからないから、寝ることもできなかった)」の意味を表します。助動詞の解説は「古典の助動詞の活用表の覚え方」にまとめましたので、ご確認ください。
▽男の違約(いやく)を恨む歌。赤染衛門の作として小倉百人一首にも選ばれたが、馬内侍集(うまのないししゅう)に「今宵必ず来んとて来ぬ人のもとに(※「今夜、かならず行きます」と言ったのに来ない人のもとに、よんだ歌)」という詞書で、全く同一の歌が収められている。(『新日本古典文学大系 後拾遺和歌集』久保田淳・平田喜信、1994年、岩波書店、221ページ)
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌がよまれた事情を説明する短い文のことで、和歌の前につけられます。
中関白(なかのかんぱく)少将に侍(はべ)りける時、はらからなる人に物(もの)言ひわたり侍(はべり)けり、頼(たの)めてまうで来ざりけるつとめて、女に代りてよめる(※藤原道隆が少将でございましたとき、作者の姉妹である人のもとに恋人として通っていましたが、ある日、道隆があてにさせておいて訪れてこなかった、その翌朝、女の代理としてよんだ歌。)
※注
○中関白 藤原道隆(ふじわらのみちたか)。その左少将だったのは天延(てんえん)二年(974)、二十二歳の十月から貞元(じょうげん)二年(977)、二十五歳の一月まで。
○はらからなる人 ここでは同母の姉妹。
○頼めてまうで来ざりけるつとめて あてにさせて訪れて来なかった翌朝。
※詞書本文と注の引用は『新日本古典文学大系 後拾遺和歌集』(221ページ)によります。
やすらふ
●やすら・ひヤスライ【休らひ】
一〘四段〙
①休息して様子を見る。「日頃の物語のどかに聞えまほしけれど、いまいましうおぼえ侍れば、しばし異方(ことかた)にて―・ひて参り来む」〈源氏葵〉。「ものうければ、しばし―・ひ、有様に従ひて参らむと思ひてゐたるに」〈紫式部日記〉
③事を進めずに思案している。ぐずぐずしている。「物や言ひ寄らましとおぼせど…心恥づかしくて―・ひ給ふ」〈源氏末摘花〉。「物語などのどやかに聞えまほしうて、―・ひ暮し給ひつ」〈源氏総角〉
で
(※「~しないで」。未然形につく。)
な
(※完了の助動詞「ぬ」未然形)
まし
〔意味〕
現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立していたのだったら、これこれの事態(B)が起ったことであろうに」と想像する気持を表明するものである(1)。世に多くこれを反実仮想の助動詞という。「らし」が現実の動かし難い事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これは何故かと問うて推量するに対し、「まし」は動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合起るであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである。(中略)
(1)「かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずそあるべくありける」〈万三七三九〉「かくあらむと知らませば心置きても語らひ賜ひ相見てましものを」〈続紀宣命五八〉「人しれず絶えなましかばわびつつもなきなぞとだに言はましものを」〈古今八一〇〉「いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが心苦しうくち惜しきを」〈源氏・松風〉
ものを
(※「~だが」)
さよ【小夜】
《サは接頭語》
夜。「―ふけて堀江漕ぐなる松浦船(まつらぶね)」〈万一一四三〉
まで
(※「…ほど」)
●まで
体言または用言の連体形を承ける。格助詞「の」「に」と共に用いるときは、格助詞「の」「に」の上に位置する。「まで」は一つの時点で事が始まり、それが次第に進行して行き、ある極限的な状態に到る意を示す語であるが、程度にも用いられて、ある限度に達する意を表わす。「いづれの日までわが恋ひをらむ」とは、現在の恋の状態が、このまま、いつを限度として進行するのかを疑問に思い、嘆く意であり、「楚(しもと)取る里長(さとをさ)が声は寝屋戸まで来立ち呼ばひぬ」とあれば、憎むべき税吏の声が、次第に近づいて来て、ついに我が家の戸口に至って大声で叫ぶ意である。奈良時代の例では、「までに」として用いる場合が少なくない(1)。
平安時代になると、女流文学の中には、「…と思われるほどに」と訳されるような、程度を表わすものが多くなる。そして、形容詞連体形を承ける例が多い(2)。(中略)
(1)都まで送り申して飛びかへるもの」〈万八七六〉「降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば尊くもあるか」〈万三九二二〉「天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を」〈万四二七五〉 (2)「皇子のおよすげもておはする御かたち心ばへ、有難くめづらしきまで見え給ふを」〈源氏・桐壺〉「いと恥かしくまばゆきまで清らなる人にさし向かひたるよ」〈源氏・浮舟〉(後略)
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