わが袖はしほひに見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし
小倉百人一首から、二条院讃岐の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
二条院讃岐
わが恋(袖)は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※「石に関連づける恋」といったことを、よんだ歌。
私の袖は、干潮の時でも見えない沖の石のように、人は知らないでしょうが、涙にぬれてかわくひまもないのです。
※「石の」の「の」は、連用修飾(~のように)の意味を表す格助詞です。格助詞「の」には、①主格、②連体修飾、③同格、④体言の代用、⑤連用修飾、の5つの用法がありますが、ここでは連用修飾の意味です。そのほかの用法は「古文の助詞の覚え方」でご確認ください。
※係助詞「こそ」は強意の格助詞ですが、文中に使われた場合、逆接(~けれど)の意味を表すことがあります。「人こそ知らね」は「人は知らないけれど」の意味です。係り結びは已然形です(「ぞ・なむ・や・か=連体、こそ=已然形」)。
▽「寄石恋(いしによするこい)」という歌題から「沖の石」を引き出し、深く秘めた恋と夜昼乾くことのない涙の袖を象徴した。作者はこの歌で「沖の石の讃岐」の異名(いみょう)をとる。(『新日本古典文学大系 千載和歌集』片野達郎・松野陽一、1993年、岩波書店、230ページ)
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌がよまれた事情を説明する短い文のことで、和歌の前に置かれます。
寄レ スル石ニ恋(いしによするこひ)といへる心を(※「石に関連づける恋」といったことを、よんだ歌。)
※詞書の引用は『新日本古典文学大系 千載和歌集』(230ページ)によります。
袖
●そで【袖】
(前略)しかし、「袖」によって連想されるものは、やはり「涙」である。「天の川恋しき瀬にぞ渡りぬるたきつ涙に袖は濡れつつ」(後撰集・秋上・読人不知)「つれづれのながめにまさる涙川袖のみ濡れて逢ふよしもなし」(古今集・恋三・敏行)のように「涙」に「濡れ」、「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」(後拾遺集・恋四・元輔、百人一首)のように「袖をしぼり」、「我ながら思ふか物をとばかりに袖にしぐるる庭の松風」(新古今集・雑中・有家)のように「袖」が「時雨」に濡れそぼち、「ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ吾が居る袖に露ぞおきにける」(万葉集・巻七)のように「時雨」や「露」が袖を濡らし、「袖の雫(しづく)」(伊勢物語・七十五段)「袖の滝つせ」(新拾遺集・恋一)などにもたとえられたが、いっぽうそのように落ちる涙をとめるものとして「袖」を「柵(しがらみ)」(拾遺集・恋四)として用いたりもした。(後略)
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
●袖を絞・る
涙でぬれた袖をしぼる。袖をしぼるほど涙を流して泣く。「上一人より下万人に至るまで―・らぬはなかりけり」〈保元下・為義の北の方〉
しほひ
●しほひシオ ‥ 【潮干】
①潮水がひくこと。「難波潟(なにはがた)―のなごりよく見てむ」〈万九七六〉
沖の石の
(※沖の石のように)
●おきのいし【沖の石】
『百人一首』にもとられている「我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」(千載集・恋二・讃岐)は『千載集』や『二条院讃岐集』では「石に寄する恋」という題をよんだ題詠歌で特定の地をよんだものではなかったが、後世、宮城県多賀城市(芭蕉『奥の細道』)や福井県小浜市(香川景樹『百首異見』)のように、特定の地名に付会されるようになった。
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
人こそ知らね
人は知らないが。(『新日本古典文学大系 千載和歌集』230ページ)
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