夜をこめて鳥の空音ははかるともよにあふ坂の関は許さじ
小倉百人一首から、清少納言の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
清少納言
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よにあふ坂の 関は許さじ
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※この歌の作者である清少納言(せいしょうなごん)が、藤原行成(ふじわらのゆきなり)とお話などしておりましたが、行成が「帝(みかど)の御物忌みなので、おそばに控えていなければなりません」と言って、夜ふけに急いで帰っていったその翌朝、行成が「鶏が朝を告げる鳴き声にうながされて、名残り惜しいと思いながらも急いで帰ったのです」と手紙をよこしましたので、清少納言は「夜ふけに鳴いた鶏の声は、あの函谷関の故事のように、うそ偽りの鳴き声なのでしょうね」と書いて送ったところ、行成からすぐに返事が届いて、「これは函谷関ではなく、逢坂の関ですよ」と書いてあったので、よみました歌。
夜が深いうちに、鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、函谷関で通行が許されたのとは異なって、私があなたと逢うという、その逢坂の関は、決してお通りになれますまい。
※「じ」は打消意志・打消推量の助動詞で、未然形に接続します。未然形接続の助動詞は「る・らる・す・さす・しむ・ず・じ・む・むず・まし・まほし・ふ・ゆ」の13種類です。助動詞の解説は「古典の助動詞の活用表の覚え方」をご覧ください。
※「よに」は呼応(こおう)の副詞です。後ろに否定表現を伴って、「まったく~ない」「けっして~ない」の意味を表します。否定を意味する呼応の副詞は、「あへて・おほかた・かけて・さらに・すべて・たえて・つやつや・ゆめゆめ・つゆ・よに」です。ヨドバシカメラのCMソングでまとめて覚えます。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌のよまれた事情を説明する短い文のことで、和歌の前につけられます。
大納言(だいなごん)行成(ゆきなり)物語りなどし侍(はべり)けるに、内の御物忌(おんものいみ)に籠(こも)ればとて、急ぎ帰りてつとめて、鳥の声に催されてといひおこせて侍ければ、夜(よ)深(ふか)かりける鳥の声は函谷関(かんこくかん)のことにやといひにつかはしたりけるを、立ち帰り、これは逢坂の関に侍りとあれば、よみ侍りける
※詞書の訳
この歌の作者である清少納言が、藤原行成とお話などしておりましたが、行成が「帝の御物忌みなので、おそばに控えていなければなりません」と言って、夜ふけに急いで帰っていったその翌朝、行成が「鶏が朝を告げる鳴き声にうながされて、名残り惜しいと思いながらも急いで帰ったのです」と手紙をよこしましたので、清少納言は「まだ深夜の内に鳴いた鶏の声は、あの函谷関の故事のように、うそ偽りの鳴き声なのでしょうね」と書いて送ったところ、行成からすぐに返事が届いて、「これは函谷関ではなく、逢坂の関ですよ」と書いてあったので、よみました歌。
※注
○内の御物忌 内裏の物忌。(※天皇の物忌。侍臣はその間殿上の間に伺候している。(『新編日本古典文学全集 枕草子』松尾聡・永井和子、1997年、小学館、244ページ))
○鳥の声に催されて 鶏の声に促されて。(※わざと後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)めかしたのである。(『新編日本古典文学全集 枕草子』244ページ))
○夜深かりける鳥の声 まだ深夜のうちに鳴いた鶏の声。
○函谷関 中国河南省北西部の交通の要衝。秦を逃れた孟嘗君(もうしょうくん)が、鶏鳴を巧みに真似る食客(しょっかく)の働きで関門を開けさせ、通過したという故事(史記・孟嘗君伝)によって著名。
※詞書本文と注の引用は特記のない限り『新日本古典文学大系 後拾遺和歌集』(久保田淳・平田喜信、1994年、岩波書店、302ページ)によります。
※『枕草子』の該当箇所はこちらからご覧になれます。
こめて
こ・め【込め・籠め】
〘下二〙《コミ(込)の他動詞形》
①深くしまう。つつむ。「貌(かほ)が花な咲き出でそね―・めて偲はむ」〈万三五七五東歌〉
②あたりをすっかりおおう。いっぱいになる。「霞―・めたる眺めのたどたどしさ」〈十六夜日記〉
とりのそらね
●そらね【空音】
①偽ってまねる声。「夜をこめて鳥の―ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」〈後拾遺集九四〇〉。「―か正音(まさね)か、現(うつつ)なの鳥の心や」〈閑吟集〉
●とりのそらね【鳥の空音】
鶏の鳴きまね。「夜をこめて―ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ。心かしこき関守はべり」〈枕一三六〉
▽鶏鳴までは開門しないきまりの函谷関で、従者に鶏の鳴きまねをさせて関守をだまし、夜中に開門させた孟嘗君の故事による。
はかる
はか・り【計り・量り】
一〘四段〙《ハカ(量・捗)の動詞化。仕上げようと予定した仕事の進捗状態がどんなかを、広さ・長さ・重さなどについて見当をつける意》
①予測する。推測する。見当をつける。「みづから忖(はか)るに、衆の病を救療するに堪能しぬべしとおもひぬ」〈金光明最勝王経平安初期点〉。「あに―・りきや、太政官の地の今やかうの庭とならむことを」〈枕一六一〉
⑥だます。「誠はいと少なからむを、…すずろごとに心を移し、―・られ給ひて」〈源氏螢〉
よに【世に】
〘副〙
①《打消の語を伴って》決して。断じて。「我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて―忘られず」〈万四三二二〉。「すきがましきさまには―見え奉らじ。思ふ事すこし聞ゆべきぞ」〈源氏帚木〉
あふさか【逢坂・相坂(おうさか)】
一般には「逢坂」と書くが、藤原定家は「相坂」と書くことが多かった。『五代集歌枕』『八雲御抄』等、古来の歌枕書は近江国とするが、近江・山城の国境の山が逢坂山である。ただしその中心をなす逢坂の関はまさしく近江国にある。
逢坂の関は大化二年(六四六)の設置であるが、延暦十四年(七九五)平安遷都の頃に一時廃止され(日本紀略)、その後天安元年(八五七)に再び設置された(文徳実録)。(中略)
さて、平安時代の歌の常として、この「逢坂」、あるいは「逢坂の関」をも恋の歌のテクニカル・タームにしてしまう。当時、男女が逢うことはすなわち契りをかわすことであったので、「逢坂の関」を越えるということは、許されない男女が一線を越えて結ばれるということであった。「思ひやる心は常にかよへども逢坂の関越えずもあるかな」(後撰集・恋一・三統公忠)「人知れぬ身はいそげども年をへてなど越えがたき逢坂の関」(同・恋三・伊尹)など、例は多い。(後略)
『歌枕 歌ことば辞典』片桐洋一、笠間書院、1999年
補足:逢坂の関の地図
※逢坂の関は京都府と滋賀県の境にありました。
(※逢坂山の周辺地図は公益社団法人 びわこビジターズビューローで見られます。)
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