大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
小倉百人一首から、小式部内侍の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
小式部内侍
大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※作者の母である和泉式部(いずみしきぶ)が夫の藤原保昌(ふじわらのやすまさ)に連れだって丹後(たんご)におりましたころ、都で歌合せがありましたが、小式部内侍はその歌よみに選ばれておりました。藤原定頼(ふじわらのさだより)が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。
大江山を越え、生野を通って行く道のりが遠いので、母の和泉式部がいる天橋立へ行ったことはまだありませんし、母からの手紙をまだ見ておりません。
※和歌の名手である母親に助言をもらおうとはしておりません、という内容。
※掛詞(かけことば)。音が同じことを利用して、二つの意味を表すこと。「いくの」が「行く」と「生野」を掛け、「ふみ」が「踏み」と「文(手紙)」を掛けます。
※四句切れ。終止形のところが切れ目となる場合が多いです。
※体言止め(たいげんどめ)。和歌を体言(名詞)でしめくくることを体言止めと言います。「天橋立」という体言(名詞)でしめくくられています。
※「已然形 + ば」の形で、「~なので」「~すると」などの意味を表します。それぞれの意味は文脈によって判断します。「遠ければ」は「遠いので」の意味を表します。
助詞の解説は「古典の助詞の覚え方」にまとめましたのでご確認ください。
補足:大江山・生野・天橋立の地図
語釈(言葉の意味)
※引用は特記のないかぎり『歌枕 歌ことば辞典』(片桐洋一、笠間書院、1999年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌がよまれた事情を説明する短い文のことで、和歌の前につけられます。
和泉式部(いずみしきぶ)保昌(やすまさ)に具して丹後(たんご)に侍(はべ)りけるころ都に歌合(うたあはせ)侍(はべり)けるに、小式部内侍(こしきぶのないし)歌よみにとられて侍(はべり)けるを、定頼卿(さだよりきゃう)局(つぼね)のかたに詣(まう)で来て、歌はいかがせさせ給、丹後へ人はつかはしてけんや、使(つかひ)詣で来(こ)ずや、いかに心もとなくおぼすらん、などたはぶれて立ちけるを引きとどめてよめる
※訳
和泉式部が夫の藤原保昌に連れだって丹後におりましたころ、都で歌合せがありましたが、小式部内侍はその歌よみに選ばれておりました。藤原定頼が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。
※注
○保昌に具して丹後に 藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の丹後守(たんごのかみ)在任は、寛弘(かんこう)七年(1010)頃、治安(じあん)三年(1023)頃の両説がある。
※詞書本文と注の引用は『新日本古典文学大系 金葉和歌集 詞花和歌集』(川村晃生・柏木由夫・工藤重矩、1989年、岩波書店、157ページ)によります。
おほえやま【大江山】
京都市西京区大枝(おおえ)。したがって大枝山とも書く。今も山を越えて亀岡市に入る山陰街道に大江の関址がある。『万葉集』巻十二の「丹波道(たにはぢ)の大江の山のさねかづら絶えむの心わが思はなくに」は、ここをいうのであろう。いっぽう、小式部内侍の有名な歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)になると、丹波への道にあたるこの大江山を越えて生野(今の福知山市)へ行くとも解せるし、福知山市の北にある大江町の、あの酒呑(しゅてん)童子で有名な丹波の大江山と解することもできるのである。
いくの
(※「行く」と「生野」を掛ける。)
●いくの【生野】
「生野の里」「生野の道」という形でもよまれた。丹波国の歌枕。今の京都市福知山市生野。「別れにし程に消えにし魂のしばしいくのの野辺に宿れる」(元真集)や「君にわがあはでいくのの幾度(いくたび)か草葉の露に袖ぬらすらん」(風情集)など「生き」「行く」「幾」を掛詞にしてよむことが多かった。『百人一首』にも採られて有名な小式部内侍の歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上)は「行く」と掛詞にして、山城国と丹波国の国境の大江山をはるばる越えて行く地としてよんでいるが、以後もこの歌を意識して「大江山」の地名とともによみ込まれることが多かった。「大江山こえて生野の末遠み道ある世にもあひにけるかな」(新古今集・賀・範兼)はその例である。(後略)
ふみ
(※「踏み」と「文(手紙)」を掛ける。)
あまのはしだて【天の橋立】
「橋立」という形でもよまれた。丹後国の歌枕。今の京都府宮津市。小式部内侍の「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)が有名であるが、「音に聞く天の橋立たてたてておよばぬ恋も我はするかな」(伊勢集)のように古来丹後の代表的名所であった。(後略)
百人一首の現代語訳と文法解説はこちらで確認
こちらは小倉百人一首の現代語訳一覧です。それぞれの歌の解説ページに移動することもできます。
あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな(和泉式部)
朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えにあらわれわたる瀬々の網代木(藤原定頼)