逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をもうらみざらまし
小倉百人一首から、中納言朝忠の和歌に現代語訳と品詞分解をつけて、古文単語の意味や、助詞および助動詞の文法知識について整理しました。
また、くずし字・変体仮名で書かれた江戸時代の本の画像も載せております。
ふだん我々が使っている字の形になおした(翻刻と言う)ものと、ひらがなのもとになった漢字(字母)も紹介しておりますので、ぜひ見比べてみてください。
目次
原文
画像転載元国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541162
翻刻(ほんこく)(普段使っている字の形になおす)
釈文(しゃくもん)(わかりやすい表記)
中納言朝忠
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
字母(じぼ)(ひらがなのもとになった漢字)
現代語訳(歌意)・文法解説
※村上天皇の時代の歌合せに、よんだ歌。
逢うということがまったく期待できないならば、もうあきらめてしまって、そうすればかえって、相手の無情さも自分の不運さも、恨むことがないだろうに。
※強意の副助詞「し」は、あってもなくても意味は変わりません。語調を整えるための言葉だとお考えください。(例:「名にし負はば」・「待つとし聞かば」など)
※呼応(こおう)の副詞。後ろの言葉とともに組みあわせて使う言葉のことです。「たえて」は否定の呼応なので、後ろに打消し表現をともなって、その意味を強めるはたらきがあります。(否定の呼応の例:「あへて・おほかた・かけて・さらに・すべて・たえて・つやつや・ゆめゆめ・つゆ・よに」→「まったく~ない。けっして~ない」の意味)
※否定の呼応表現の覚え方:ヨドバシカメラのCMソング
※反実仮想(はんじつかそう)の助動詞「まし」。「~だったら…なのに(しかし、実際には~ではないから…でもない)。」の意味を表します。条件節(~だったら)の部分は一般的に、実現不可能なことです。
▽八代集抄※1「此(こ)の歌、百人一首にては、逢不レ会恋(あひてあはざるこひ)※2と、古人(ふるひと)の説(せつ)也(なり)。此の集の部立(ぶだて)は、未レ逢恋(いまだあはざるこひ)※3也」。拾遺集(しゅういしゅう)では、まだ逢瀬(おうせ)が叶(かな)わぬ嘆(なげ)きを詠んだ歌になるが、愛情の跡絶(あとた)えを嘆く歌と解することもできる。(『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』小町谷照彦、岩波書店、1990年、199ページ。引用者がふりがなと補注をつけました。)
※1八代集抄(はちだいしゅうしょう) … 北村季吟(きたむらきぎん)(1624~1705年)が書いた八代集(古今和歌集から新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集)の注釈書(ちゅうしゃくしょ)。
※2逢不レ会恋(あひてあはざるこひ) … 一度、契りを結んだが、いつしか会わなくなった恋。
※3未レ逢恋(いまだあはざるこひ) … まだ契りを結んでいない恋。
語釈(言葉の意味)
※特記のないかぎり『岩波 古語辞典 補訂版』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編集、岩波書店、1990年)による。
詞書(ことばがき)
※詞書とは、和歌のよまれた事情を説明する短い文で、和歌の前に置かれます。
天暦御時歌合(てんりゃくのおほんときうたあはせ)に(※村上天皇の時代の歌合せに、よんだ歌。)
※詞書の引用は『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』(199ページ)によります。
逢ふ
●あ・ひアイ【合ひ・会ひ・逢ひ】
一〘四段〙
❶二つのものが互いに寄って行き、ぴったりとぶつかる。①対面する。「昔の人にまたも―・はめやも」〈万三一〉
❷二つのものが近寄って、しっくりと一つになる。⑤契りを結ぶ。結婚する。「男は女に―・ふことをす」〈竹取〉
絶ゆ
●た・え
〘下二〙
①中途で切れる。「設弦(うさゆづる)―・えば継がむを」〈紀歌謡四六〉。「草枕旅の丸寝の紐―・えば」〈万四四二〇〉
し
(前略)「し」の実例を見ると、下に否定や推量、あるいは「ば」による順接の条件句を形成するものが圧倒的に多く、下を「む」「らむ」「らし」「まし」「けむ」「けらし」「べし」などの助動詞で結ぶものが目立つ(1)。他方、それらに対立する「たり」「なり」「つ」などの、確実な肯定的断定で結ぶ文末はほとんどない。助詞「ば」を伴って、「…し…ば」の形をとるものは、奈良時代に「し」の用例の半数、平安時代の源氏物語や枕草子では、例のほとんどすべてを占めている(2)。これによれば、「し」は確定的・積極的な肯定的判断を強調する語ではない。むしろ基本的には、不確実・不明であるとする話し手の判断を表明する語と考えられる。従って、話し手の遠慮・卑下・謙退の気持を表わすところがあり、話し手が判断をきめつけずに、ゆるくやわらげて、婉曲に控え目に述べる態度を表明する語と思われる。(中略)
(1)「吾が命し(モシ)真幸(まさき)くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白浪」〈万二八八〉「わが岡の龗(おかみ)に言ひて降らしめし雪のくだけし(破片デモ)そこに散りけむ」〈万一〇四〉「信濃なる千曲の川の細石(さざれいし)も君し踏みてば玉と拾はむ」〈万三四〇〇〉「おのれし(ナド)酒をくらひつれば、はやくいなんとて」〈土佐・十二月二十七日〉
(2)「わが背子は物な思ほし事しあらば(事件デモアッタラ)火にも水にも吾無けなくに」〈万五〇六〉「風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし(来ルダロウナドト)待たば何か嘆かむ」〈万四八九〉「うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば」〈万四二九二〉(後略)
絶えてし
下に否定表現を伴う。全く。少しも。「し」は、強意。(『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』199ページ)
は
(前略)また「は」は、一つの条件の提示となることがある(1)。
(1)「恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まくほりすれ」〈万五六〇〉「青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし」〈万八二一〉
なかなかに
(※かえって)
ひと【人】
➊物や動物に対する、人間。「わくらばに―とはあるを、人並みに吾も作るを」〈万八九二〉。「―ならば母が最愛子(まなご)そあさもよし紀の川の辺の妹と背の山」〈万一二〇九〉
➌《深い関心・愛情の対象としての人間》①意中の人物。夫。恋人。「わが思ふ―の言(こと)も告げ来ぬ」〈万五八三〉。「人柄は、宮の御―にて、いとよかるべし」〈源氏藤袴〉
み【身】
一〘名〙
①人や動物の肉体。身体。「吾が―こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを」〈万三七五七〉
②わが身。自分。「これは―の為も人の御為も、よろこびには侍らずや」〈枕八二〉
人をも身をも
相手の冷淡さも自分の運命の拙(つたな)さも。(『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』199ページ)
まし
〔意味〕
現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立していたのだったら、これこれの事態(B)が起ったことであろうに」と想像する気持を表明するものである(1)。世に多くこれを反実仮想の助動詞という。「らし」が現実の動かし難い事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これは何故かと問うて推量するに対し、「まし」は動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合起るであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである。(中略)
(1)「かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずそあるべくありける」〈万三七三九〉「かくあらむと知らませば心置きても語らひ賜ひ相見てましものを」〈続紀宣命五八〉「人しれず絶えなましかばわびつつもなきなぞとだに言はましものを」〈古今八一〇〉「いかにせまし。隠ろへたるさまにて生ひ出でむが心苦しうくち惜しきを」〈源氏・松風〉
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