芥川龍之介『鼻』の簡単なあらすじと読書感想文の見本です。感想文は1649字ほど書きました。高校生や中学生の方は、この感想文の例を参考にして書き方を工夫してみてください。
『鼻』の簡単なあらすじ
あらすじは次の通りです。
以上のあらすじをふまえて書きます。
『鼻』感想文の例
他者から評価されるということは、悩みの種にもなれば努力の動機づけともなりうる。そのような周囲の目を気にする心がなくなれば、おだやかな生活をおくることができるはずだ。
禅智内供は非常に長い鼻を持っていて、その鼻の長いことを気にしている。また、自分が鼻を気にしていることを知られるのも嫌であった。短く見せようとしたり、自分と同じような鼻を持っている人を探してみたりしたが、彼と同じく大きな鼻を持つ人はいなかった。ある日、弟子の一人が医者から鼻を短くする方法を聞いたので、それを試してみることにした。すると、鼻はたしかに短くなったのだが、かえって人々に笑われるようになってしまう。それを恨めしく思っていたところ、ある朝、とつぜん鼻はもとの長さに戻り、彼は非常にはればれした心もちになったのであった。
鼻は人の顔の美醜を左右する重要な部位である。顔のよいことをほめるのに、鼻筋のとおった、という表現を使うこともある。しかし、内供の鼻は不格好で異様である。
長さは五六寸あって、上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば、細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
このような鼻を持っている人はおそらく現実には存在しないだろうが、内供と同じようにコンプレックスを抱えている人は多いだろう。体の部位の形や背の高低などの外見によるものもあれば、出身地や出自など外見に表れないものもある。人によってそれぞれ何かしらの特徴があって、それを負い目に感じる人は少なくないはずだ。そして、そのコンプレックスを克服しようと工夫をこらすこともしばしばである。内供が鼻の見え方を工夫したり、自らと同じような形の鼻を探してみたりしたのと同じような工夫である。とくに、内供が自分と同じような鼻を持つ者がいないかを知りたくて、いちいち人の鼻に注目したり、いにしえの文献を読みあさったりする点は非常に共感を呼ぶところである。
内供の鼻の手術は成功する。彼の鼻は短くなったのだ。だから、彼が自らの鼻のことで悩むことはないと思われた。ところが、内供の予期に反して彼の鼻は依然として周囲の人々の嘲笑の的であった。むしろ、よりあからさまに笑われるようになってしまった。内供の鼻のどこがおかしいのか、笑う人々の心理はそれほど深く語られていない。重要なのは内供の心理なのだ。彼は鼻が短くなっても悩みを克服することができない。克服するどころかかえって彼の心理状態は悪くなってしまう。鼻の短くなった彼は気も短くなってしまったようで、あたりの弟子たちをいじわるくしかりつけるようになる。鼻が短くても長くても悩みはつきない。彼の鼻を気にする心そのものが悩みの種だったのである。これを克服するには悩む心を捨てなくてはならないのだが、内供はふとしたきっかけでそれを克服する。内供がある朝目を覚ますと、鼻のあたりの感覚が変わっている。鼻に手をあててみると、もとの異様に長い鼻がそこにあったのだ。彼は「こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない」と考える。もちろん、周囲の人々は彼の鼻を笑うだろう。しかし、内供はもはやそのことを気にしていない。彼は悩む心そのものを克服することができたのである。
他者からの評価は気になることの一つであろう。満足も不満足も人の評価によって左右されてしまうとも言える。内供が鼻の手術を成功させることができても、それを評価する、あるいは好意的にとらえる人がいなかったから、内供は悩みを克服できなかったのである。周囲をとりまく人間の目、すなわち世間体を気にすることからのがれることができれば本当の幸福感を得られるだろう。内供のように悩みをのりこえた境地にいたることができれば本当の幸福が訪れるはずである。ただ、他者からの評価を気にすることが必ずしも悪いことではない。他者から承認されたいという欲求は人間としてあたりまえに備わっているものである。それが努力の動機づけとなるならば有意義である。
(1649字)
まとめ
人々が内供の短くなった鼻を見て笑う理由が理解できないですね。簡単な説明は本文中にあるのですが、いまいちピンとこないです。内供をふたたび同じような境遇におとしいれてやりたい心理、よくわからないんです。この点に注目してまたべつの感想文が書けるかもしれません。
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