三夕の歌(さんせきのうた)とは、新古今和歌集におさめられている3首の和歌のことで、すべて「秋の夕暮れ」という体言(名詞)でしめくくられています。三夕の和歌とも呼ばれます。このページでは、それぞれの歌に現代語訳と品詞分解をつけて意味や共通点を解説します。
三夕の歌の解説
三夕の歌は『新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)』(1205年頃成立)の巻第四・秋歌上に3つ並んでおさめられています。一首ずつ見ていきましょう。和歌の末尾のかっこ内に歌番号と作者の名前をつけました。
寂蓮(じゃくれん)法師の和歌
寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ(361・寂蓮法師)
(さびしさは そのいろとしも なかりけり まきたつやまの あきのゆふ(う)ぐれ)
現代語訳:このさびしさはどこから来るというものでもないのだ。真木(まき)の生えている山の秋の夕暮れよ。
●色 仏語の「色(しき)」に倣(なら)って広く「もの」の意と見たい。形・色彩を含む。(『新日本古典文学大系 新古今和歌集』田中裕・赤瀬信吾、1992年、岩波書店、59ページ)
※過去の助動詞「けり」が和歌の中で使われる場合は基本的に、詠嘆(えいたん)(~ことだ・~だなあ)の意味で訳します。助動詞については「古文の助動詞の意味と覚え方」にまとめましたのでご確認ください。
※体言止め(たいげんどめ)。和歌を体言(名詞)でしめくくることを言います。
※三句切れ。終止形や係り結びが切れ目となる場合が多いです。
西行(さいぎょう)法師の和歌
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(362・西行法師)
(こころなき みにもあは(わ)れは しられけり しぎたつさは(わ)の あきのゆふ(う)ぐれ)
現代語訳:あわれなど理解するすべもない私にも、今はそれがよくわかるのだ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の秋の夕暮れよ。
●しぎ シギの類は多いが、普通は秋渡来するシギ科のタシギ。水田、沼沢に集まり、飛び立つ時シャーッ、シャーッと鋭く鳴く。(『新日本古典文学大系 新古今和歌集』117ページ)
※「知られ」の「れ」は、自発(じはつ)(自然に~なる)の意味を表す助動詞「る」の連用形です。助動詞「る」は、直前に知覚・感情を表す動詞がある場合は、基本的に自発の意味になります。
※体言止め・三句切れ。
藤原定家(ていか)の和歌
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(363・藤原定家)
(みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆふ(う)ぐれ)
現代語訳:見わたすと、花も紅葉もここにはない。海辺の仮小屋に訪れる秋の夕暮れよ。
●とまや 苫で屋根や壁を囲った家。苫はカヤの類で編んだ筵(むしろ)。(『新日本古典文学大系 新古今和歌集』117ページ)
※体言止め・三句切れ。
※「已然形 + ば」の形で、「~なので」「~すると」などの意味を表します。それぞれの意味は文脈で判断します。
助詞の解説は「古文の助詞の覚え方」にまとめましたのでご確認ください。
三夕の歌の共通点
3首の和歌の共通点は体言止めと三句切れです。すべて、「秋の夕暮れ」という体言(名詞)で歌がしめくくられており、和歌に余情を添える狙いがあります。体言止めは『新古今集』の時代の和歌の特徴の一つなのです。
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小倉百人一首にも体言止めの和歌はあります。こちらの一覧から歌の意味をご覧ください。