宮沢賢治『風の又三郎』の簡単なあらすじと読書感想文の見本です。感想文は1623字ほど書きました。高校生や中学生の方は、この感想文の例を参考にして書き方を工夫してみてください。
『風の又三郎』の簡単なあらすじ
『風の又三郎』のあらすじは次の通りです。
以上のあらすじをふまえて書きます。
『風の又三郎』感想文の例
夏休みが明けて子どもたちが村の小学校へやってくると、教室には見なれない一人の少年がいた。彼は赤毛で、黒い目をもっていた。名前は高田三郎と言って、この小学校にあたらしくやってきた転校生なのである。子どもたちは、彼を「風の又三郎」と呼び、次第に仲良くなっていった。しかし、風の強く吹いた次の日、又三郎と呼ばれた少年が小学校にやってくることはなく、どこかへ転校してしまったのであった。
高田三郎という少年はどこか不思議な雰囲気をかもしだしている。彼がやってくると強い風が吹く。少年たちは彼を風の又三郎だと呼ぶが、三郎少年と又三郎との関係が作中に明確に語られるということはない。少年たちが、彼を又三郎と名付けるのである。
又三郎というのは、一体何をさす言葉なのだろうか。少年たちは彼を、二百十日とともにやってきたのだと言う。二百十日というのは、立春からかぞえて二百十日目のことをさす。日付ではおよそ九月一日である。その季節はちょうど秋にあたる。作品の冒頭、夏休みが終わって第二学期がはじまる時期なのである。その時期は、風が強まり、一年のなかでも台風の多い時期である。まさに、風の又三郎がやってくる時期なのである。少年たちは当初、又三郎を得体のしれないものと敬遠するが、一緒に遊んでいるうちに、彼を仲間として受け入れるようになる。彼らは、一緒に上の野原に遊びに行ったこともある。馬を競走させようとするのだが、そのうちの一頭が、遠くへ走って行ってしまう。又三郎はそれを追いかけてどこまでも走っていく。夕闇が迫るなかで、山の中に足を踏み入れる少年たちであったが、その場面はなにやらおそろしい雰囲気を感じさせる。彼らは迷子になってしまい、二度と家に帰ることはできないのではないだろうか。そのような不安を読者に感じさせる場面である。私はどきどきしながらページをめくり、彼らが無事に家に帰ることを祈った。馬を追いかけた又三郎は、馬を連れて、ふいに少年たちの前に姿を見せる。又三郎は緊張した場面でも、ひょうひょうとした強さと賢明さを感じさせる少年である。何食わぬ顔で馬をつかまえる少年の姿から、又三郎がほかの少年とどこかちがった雰囲気を感じさせるので、又三郎の異質な雰囲気はますます大きくなるようである。彼らが家に戻るとおじいさんがでむかえてくれる。おじいさんの雰囲気は、少年たちの不安を和らげようとしてか、ひじょうに穏やかである。ここまでくればもう一安心という、危機を脱した安堵感を少年たちと共有できる場面であろう。しかし、おじいさんは少しこわいことを言う。「あぶないがった。あぶないがった。向こうさ降りだら馬も人もそれっ切りだったぞ。」とおじいさんは少年たちに向かって言うのである。少年たちが山の中を歩き回って、道を誤ってしまったら、がけから落ちて死んでしまったかもしれない。馬を夢中で追いかけているうちに道を踏みはずしてがけから落ちてしまったかもしれない。少年たちは危ないところで死の危険を脱していたのである。少年たちが死の危険をのがれることができたのは、又三郎のおかげのように感じられる。又三郎が逃げ出した馬に真っ先に飛び出して行き馬をつかまえたのである。ほかの少年たちが馬を追っていたら、がけから落ちてしまったかもしれない。又三郎が馬をつかまえることができたから、少年たちは安心して森をぬけだし、家に帰ることができたのである。
又三郎は死を暗示しているように感じられる。川で遊んでいるときにも、彼には死の雰囲気が漂っているような、不安な印象を読者におよぼすのである。彼はとつぜん学校からいなくなってしまう。先生はほかの学校へ転校したのだと少年たちに説明するのだが、何か本当の理由があるように思える。又三郎はじつのところ死んでしまったのではないだろうか。彼が何のために村の学校にやってきたのか、彼の存在が一体何であるのか、読む人によって感じ方は変わってくるのだろう。
(1623字)
まとめ
又三郎が何を象徴する存在であるのか、考えさせる作品です。秋の季節にやってくる風の精霊なのではないか、死の世界からやってきた幽霊なのではないだろうか、さまざまなことに想像をめぐらせます。
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