『高瀬舟』のあらすじと感想文を書きました。
『高瀬舟』あらすじ
『高瀬舟』のあらすじは次の通りです。
以上のあらすじをふまえて書きます。
『高瀬舟』感想文
他者の立場を考えて共感することによって、自分自身の考え方や行動の特徴に気づいたり、思いもよらない発見をしたりできるだろう。
京都には高瀬川という川があり、島流しにされる罪人は高瀬舟に乗せられ京都から大阪へと送られる。京都町奉行の同心の羽田は弟殺しの罪で島流しとなった喜助を護送するため、高瀬舟に同乗した。一般的に高瀬舟に乗せられた者は悲しそうな素振りをするのだが、喜助はそのような様子を見せることなく楽しそうにしている。それを不思議に思った羽田は、喜助に事の次第をたずねる。喜助はつらかったこれまでの暮らしに比べれば、牢では何の仕事もせずに食べ物が与えられることや、はじめて自分の自由になるお金を持つことができて、それを島の仕事の元手にできるということがありがたいと言う。そして、弟を殺したのは、自殺をはかったが死にきれずに苦しんでいた弟に頼まれてのことだったことも明かす。
羽田には借金を帳消しにしてくれるあてがある。羽田は生活資金の不足を妻の実家から送られてくるお金で補うことがある。羽田自身がそれを嫌い、妻も羽田に隠していることとはいえ、羽田が身よりの援助によって生活していることは事実である。羽田は、貯蓄をつくることができず生活の余裕がない点で、自らと喜助は同じ立場にあると考える。そして、一人も身よりのない喜助の立場と、生活の援助を請うことができる親類のある自らの立場との相違をそれほど重要視していないが、その差異は大きい。自由に使えるわずかな金を手にすることができたことに満足を覚える喜助と、安泰と言える暮らしを送りながらも生活の不安にたえずつきまとわれる羽田の違いは、それぞれの生い立ちや生活環境の違いからもたらされるのだろう。羽田はいざとなれば妻の実家に援助をあおぐことができる。最低限の生活が保障されている。いっぽう喜助は頼りになる親類は一人もいない。この立場の相違は決して小さくない。
喜助は親を失ってから弟と二人で生きてきた。頼るべき親類もなく、幼い頃から働かざるを得なかった。毎日がその日を平穏に終えるための苦闘に満ちていたに違いない。働けなくなれば生計を立てることができない。だから、明日のわが身を心配する心の余裕などないのである。病気の弟を助けられなかったのも生活の余裕がなかったからだ。薬を買うのに金がいる。ただでさえ暮らし向きが苦しいのに、膨らむ出費を喜助一人の手で支えなければならない。けっきょく喜助は死ぬことを望んだ弟を自らの手で死に至らしめることになる。それは余裕を欠いた生活によってもたらされた悲劇である。喜助の口から、高瀬舟に乗せられて悲嘆にくれる人は世間で楽をしてきた人なのだという言葉が出てくることも納得できる。過酷な労働と弟の死、辛酸をなめつくした喜助だからこそ出てくる言葉だ。これまでの暮らしが悲惨だったからこそ、罪に問われて島で生活を送ることにすら満足を覚えるのだ。
いっぽうの羽田は、喜助の目から見れば恵まれた立場にいるのだろう。羽田自身は自らの生活を楽だとみなしていない。自分には貯蓄もなければ、病気や失職の不安もある。だから、安心することなどできない。それは当然の考え方であるが、喜助の立場と比べて考えてみると、羽田はずいぶん恵まれた環境にあることがわかる。生活の援助を頼むことができる親類があり、持病もなくいたって健康だ。それらを当然のことではないと考えるとき、自分が恵まれていることに気づき満足することができるのだろう。羽田は喜助の話を聞いてはじめて「足ることを知る」ということに気づくことができた。他者の立場になって自分の置かれた環境をながめてみることで、はじめてわかることもあるのだ。だからといって、羽田が欲の深い人間だと非難することは適当ではない。今後起こりうる危険に備えることは重要であり、それは際限のない欲望に歯止めをかけることとは違う。また、他者がどれほど悲惨な境遇に苦しんでいても、共感するには限界がある。「恵まれている」と自分自身をいくらなぐさめてみても、自らの苦しさは変わらない。自分の現状が恵まれていると実感できれば、欲張ることなく冷静に目の前の問題に向き合うことができるはずだ。他者を理解することが自分の身を助けるためにも重要なのだ。
(1755字)
まとめ
作品のテーマは、「欲」と「安楽死(尊厳死)」の二つです。今回は「欲」に注目して書いてみましたが、一つの作文の中で両方のテーマについて書いてもかまわないと思います。