『舞姫』のあらすじと感想文を書きました。
『舞姫』あらすじ
『舞姫』のあらすじは次の通りです。
以上のあらすじをふまえて書きます。
『舞姫』感想文
人格は幼少期から重ねた経験によって形成されていく。個人に特定の役割を背負わせる社会では、個性や主体性が育まれるのは難しいのだろうか。
官命によりドイツのベルリンに駐留する太田豊太郎は、公務のかたわら大学で法律を学んでいたが、しだいに歴史や文学に傾倒していき官長の反発を招くようになる。ある日クロステル巷でエリスという少女に出会う。彼女はヴィクトリア座の女優であったが、亡くなった父親の葬儀費用の工面に難儀していた。豊太郎は彼女の葬儀費用を肩代わりしたことがきっかけで、彼女と文のやり取りをするようになるが、同じく洋行していた日本人の仲間たちに悪いうわさをたてられ、それが本国の官長の耳に達して免職の処分を受けてしまう。困った豊太郎は友人の相沢謙吉のおかげで、ある新聞社の通信員となり政治学芸の動向を報道する仕事をはじめた。このころからエリス宅に同居するようになり、エリスは懐妊する。ある日、秘書官の相沢をひきつれてベルリンにやってきた天方大臣に文書のドイツ語翻訳を頼まれたことがきっかけで、天方伯のロシア訪問の通訳を任される。その活躍により天方伯の信頼を得た豊太郎は、本国への帰国に同行することを求められ、承諾する。エリスは相沢の口から豊太郎と離別しなければならないことを知らされると狂乱しパラノイアになってしまった。
豊太郎は主体性に欠けている。彼の主体性の欠如は彼が育った環境によるものなのだろう。学生時代から優等生で官庁での仕事も勤勉にこなし、ベルリンを訪れても美しいまちの景物に目もくれず仕事と勉強に励んでいた。日本の教育は豊太郎を従順で機械的な人間に育成することに成功したのだ。豊太郎の上司である官長も、豊太郎が自分の命令に従順に従うことを求めており、ベルリン滞在の最初の三年間は彼の勤勉な働きぶりに満足していたことだろう。ところが、受動的で従順な豊太郎がベルリンの自由な雰囲気を帯びた結果、彼の心境に変化が訪れる。官長への報告書で反発し、政治や法律の勉強から離れて文学や歴史に興味を持つようになる。他者から押しつけられた学問ではなく、自ら興味を持った分野に自発的に取り組む主体性を見せるようになったのである。
しかし、けっきょく豊太郎は自らに深く根ざした受動的な心もちによって挫折することになる。豊太郎がベルリンで相沢に再会したとき、才能があり学識豊かな者が一人の少女にかかずらうのは損になるだけで有益でないと、エリスとの関係を断つように迫られる。豊太郎はそれを拒むことができず、エリスと別れることを約束してしまう。彼が「余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抵抗すれども、友に対して否とは対へぬが常なり」と考えるとおり、拒否することをしない習慣が彼の身についている。拒否するという主体性に欠けているのである。豊太郎は天方伯の要請を断ることもできない。ロシア行きも日本への帰国も承知してしまう。「余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、咄嗟の間、その答の範囲を善くも量らず、直ちにうべなふことあり」という言葉のとおり、彼には機械的に物事を判断するくせがついている。彼はエリスに本国へ帰ることを伝えることすらできずにその役割を相沢に譲っている点にも、彼の主体性の欠如とそれをもたらした日本の生育環境に対する皮肉が表れていると考えられる。
日本ではいまでも世間による同調圧力は強いと思われる。みなが同じような生活を営むことが普通と考えられている社会では、主体性を発揮し個性的な働きをすることが、好ましく受け入れられない場合も少なくないだろう。学校で優秀な成績を修め、学校を出れば会社勤めをすることが普通と考えられ、尊ばれる。そのレールから外れた人は社会からさげすまれ、彼らに救いの手が及ぶことは難しい。社会の多数派に理解されがたい主体性を容認する自由な雰囲気を育むには、社会から逸脱したものを批判するばかりでなく、ゆとりあるまなざしで受け入れるおおらかな心を一人ひとりが持つことが求められる。
(1666字)
まとめ
今回は豊太郎がやむにやまれず、あるいは無意識に本国行きを承知したのだという立場で書いてみましたが、エリスを見捨てた豊太郎はひどいと考える人も少なくないと考えられますので、そのような視点でも書くことができると思います。