平安時代中期に菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって書かれた『更級日記』(さらしなにっき)の個人的な勉強ノートです。
原文には、各章段に見出しは付けられていませんが、活字化された際に一般の読者に分かりやすいように「家居の記」「梅の立枝」「継母との別れ」「物語」「源氏の五十余巻」「猫」などと見出しが付けられています。
今回は『更級日記』の中盤を翻刻し、歴史的仮名遣いで表記したうえ、品詞分解・現代語訳・語釈を付しました。「その春」「かくのみ」から始まる部分の解説もありますので、学習の参考にしていただければ幸いです。
●使用テキスト
『御物更級日記 藤原定家筆』(笠間影印叢刊刊行会・2015年)
目次 [開く]
三条の宮
p.40途中 ひろびろと荒れたる所の
諸注「所在なさそうに」のような訳を当てるが、堂舎がまだ建設中のことだから、どこのお寺ということもない、ただの「山づら」に、の意であろう。【新大系】
ここがどこということもなく。そんなことには無頓着で。【新全集】
▶三条の宮
一条天皇第一皇女脩子内親王邸。【新大系】
一条天皇第一皇女修子内親王。母は定子皇后。当時二十五歳。その御所を竹三条と見て、押小路南、東洞院大路の東、すなわち左京四坊二町にあったとする説(角田文衛『王朝の映像』)もある。【新全集】
▶深山木
みやまぎ【深山木】深山に生えている木。【古・岩】
p.41 都のうちとも見えぬ所の様なり
ありもつかず【有りも付かず】〘連語〙落ちつかない。【古・岩】
(上京したばかりで)落ち着かず。【新大系】
落ち着いて住みついたわけでもなく。「あり」は、いること、住むこと。【新全集】
▶母
京にとどまっていた作者の実母。藤原倫寧の娘で、蜻蛉日記の作者、道綱母の異母妹。【新大系】
実母、藤原倫寧の娘。『蜻蛉日記』の作者道綱母の異母妹。【新全集】
▶衛門の命婦
ゑもん【衛門・右衛門】「衛門府」または「右衛門府」の略。【古・岩】
みゃうぶ【命婦】①令制で、五位以上の婦人または五位以上の官人の妻の称。前者を内命婦、後者を外命婦という。②平安時代、後宮で働く女官のうち、中級の女房の称。夫や父の官名を上につけて呼ぶことが多い。【古・岩】
「衛門」は父兄または夫の官名であろう。「命婦」は後宮の職員で、五位以上の婦人を内命婦、五位以上のの人の妻たる者を外命婦といったが、当時はその区別も崩れ、中流女房の呼称となっていた。【新全集】
▶御前
「御前」は貴人の御前の意から、貴人その人も指す。ここは後者で、脩子内親王。【新大系】
三条の宮。「御前」は貴人の御前の意、転じて貴人その人を婉曲にさしていう。【新全集】
▶おろし
「おろす」は神仏に供えたもの、貴人の使用したものを下賜または頂戴すること。【新大系】
貴人所持の品などを下賜すること。【新全集】
▶草子(冊子)
巻子(かんす)本(巻物仕立て)に対する綴じ本。ここは物語の冊子(草子)。【新大系】
料紙を糸で綴じた体裁の書物。「巻子」に対していう。【新全集】
▶硯の箱の蓋
当時は人に物を贈るのに硯箱の蓋をお盆代わりに用いた。【新大系】
当時は人に物を贈るとき、硯箱・手箱の蓋などをお盆の代りに用いた。【新全集】
継母との別れ・梅の立ち枝
p.42 おこせたり。嬉しく、いみじくて
(はなやかな生活に馴れていた人にとって、田舎の暮しは)不本意なことがいろいろあって。【新大系】
期待はずれのこと。【新全集】
継母の離別は、華やかな宮廷生活から草深い上総に下り、しかも引っ込み思案で無趣味な孝標と額を突き合せて暮した四年の生活の当然の帰結であろうし、上京後の住居が、作者の実母との、いわば妻妾同居となったことも見逃せまい。【新全集】
▶五つばかりなる児どもなどして
「五つばかりなる」と年齢は一人分しかあげていないのに「児ども」と複数になっているのは不審。「など」は「児ども」や侍女たちなどの意であろう。「して」は連れての意で、下文の「わたりぬるを」にかかる。【新大系】
この「ども」は必ずしも複数を示すものではなく、「子ども」のごとく単数にも用いる接尾語。「など」は乳児のほかに、乳母、侍女たちも類推させる語であろう。【新全集】
連れて。「し」はサ変動詞の連用形。「して」を、乳児を使いとして、と解く考えもあるが従えない。【新全集】
p.43 児どもなどして
しのびね【忍び音】①忍び泣きの声。また、声をひそめて泣くこと。【古・岩】
物語・源氏の五十余巻(その春、世の中いみじう騒がしうて)
p.44 音もせず、思ひわびて
「梅が花を咲かせる頃にはきっと来ますよ」というあなたの約束をあてにして、まだ待たなければならないのでしょうか。春は霜枯れた梅をも忘れずに訪れて、これほど美しい花を咲かせてくれたというのに。
と歌を詠んで送ったところ、相手はしみじみとしたことを書き連ねて、次のように贈って来た。
やはり当てにしてお待ちなさい。梅の立枝が美しい花をつける頃には、私は別として、約束もしていなかった思いがけない素晴らしいお方が訪れてくると申しますから。
その年の春は、疫病がたいそう流行して、まつさとの渡し場で月光に照らし出された姿をしみじみと物悲しく見た
「頼め」は下二段動詞。頼みに思わせる、あてにさせるの意。「春」は擬人化されたもの。「春」は霜枯れた梅をも見限らずに訪れた。にもかかわらず、あなたは私のことなどお忘れになって…と訴えたものである。【新全集】
▶なほ頼め……
「頼め」は四段動詞の命令形。この歌は、「冷泉院の御屏風の絵に、梅の花ある家に、まらうと来たるところ」と題した平兼盛の「わが宿の梅の立ち枝や見えつらむ思ひのほかに君が来ませる」(拾遺・春)をふまえたもの。梅の咲くときは、それにひかれて、思いももうけない人(男君)が訪れると申します…と、作者を慰め、自分の行けない旨を婉曲に表現したもの。「訪ふなり」の「なり」は伝聞の助動詞。【新全集】
▶世の中、いみじうさわがしうて
「世の中さわがし」は疫病の流行をいう常套表現。この年の疫病については、栄花物語・本の雫に「世の中いとさわがしうて、皆人いみじう死ぬれば」とあり、日本紀略の治安元年二月二十五日の条にも「依二天下疫病一奉二幣二十一社一」と見える。【新大系】
治安元年(一〇二一)春から秋にかけては疫病が大流行、死者が続出したため、朝廷をはじめ寺社でさかんに祈禱修祓が行われた。【新全集】
p.45 乳母も、三月朔日に亡くなりぬ
散っていく花も、また巡り来る春には見ることもあるだろう。しかし、あのまま永の別れとなってしまったあの乳母のことが恋しくてならない。
また、聞くところによると、侍従の大納言の姫君も
藤原行成(九七二-一〇二七)の息女。藤原道長の末子長家に嫁し、十五歳で没。【新大系】
侍従大納言は藤原行成。寛仁三年(一〇一九)侍従を辞し、同四年十一月権大納言に任じた(公卿補任)が、侍従在任期間が長かったので、侍従大納言と呼ばれていた。その娘は寛仁元年(十二歳)、道長の子長家(十三歳、公卿補任)と結婚した。『栄花物語』浅緑巻には、雛遊びのような幼い二人の生活が語られている。【新全集】
p.46 侍従の大納言の御娘、亡くなり給ひぬなり
長家。【新大系】
「殿」は関白道長。その末子長家は当時、右近衛中将従三位。十七歳(公卿補任)であった。【新全集】
▶御手
筆跡。【新全集】
▶さ夜更けて寝覚めざりせば
「さよふけて寝ざめざりせばほととぎす人づてにこそ聞くべかりけり」(拾遺集・夏・壬生忠見)。【新大系】
『拾遺集』夏「天暦の御時の歌合に」と題する壬生忠見の歌「小夜ふけてねざめざりせば時鳥人づてにこそ聞くべかりけれ」。【新全集】
▶鳥辺山谷に煙の燃え立たば……
拾遺集・哀傷・読人しらずの歌。鳥辺山の谷に煙がもえ立つならば、それは、日ごろから長生きしそうもなく見えた、私の火葬の煙だと知ってほしい。「とりべ山」は京都市東山区の東大谷から清水にかけての地。当時の火葬場。【新大系】
『拾遺集』哀傷(題しらず、読人しらず)。鳥辺山は京都市東山区の東大谷から清水にかけての一帯をいい、昔の火葬場であった。行成の娘が、自分の死を予感するごとく、奇しくもこの一首を選んでしたためたことに、あらたな涙をそそられるのである。【新全集】
物語・源氏の五十余巻(かくのみ思ひくんじたるを)
p.47 書き給へるを見て
おもひくんじ【思ひ屈し】〘サ変〙(がっくりと)気をおとす。▷古くは促音の表記が不定であったから、「おもひくっし」の促音を「ん」で書いた形。実際はオモヒクッシと読んだもの。しかし、最近は、「ん」と書いてある表記にひかれてオモイクンジと連濁の形で読んでいる。【古・岩】
▶紫のゆかり
「紫のゆかり」は「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今集・雑上・読人しらず)の歌をふまえて、藤壺の姪で、顔立ちも瓜二つの紫の上を指す。そこで、紫の上に関係の深い巻々ととる注が多いが、紫の上が藤壺のゆかりであることが特に強調され、「紫のひともとゆゑに」をふまえた表現が集中しているのは若紫巻だから、ここは若紫巻一巻のみを指すと解しておきたい。【新大系】
『源氏物語』中、紫の上に関係のある巻々をさすものでもあろうか、一説に若紫巻をさすともいう。「ゆかり」は縁故。【新全集】
▶人かたらひ
人に相談をもちかけて味方にひき入れること。ここは物語の入手を頼むこと。【新大系】
人に相談をもちかけること。【新全集】
p.48 源氏の物語、一の巻よりして
京都市右京区太秦の広隆寺。【新大系】
▶籠る
こもり【籠り・隠り】〘四段〙⑤(祈願のために)寺社などに泊りこむ。参籠する。【古・岩】
祈願のため寺院に参籠すること。【新全集】
▶をばなる人
系譜不明。受領の妻として任地にあったのが上京したのであろう。【新大系】
p.49 珍しがりて帰るに
源氏物語は、紫式部の死後、幾人もの手によって長期間にわたって書き継がれたものという説があるが、式部が死んで十年とはたっていないと思われるこの時期に、すでに「源氏の五十余巻」と記されていることは、この物語の成立事情を考える上で重要な証跡である。なお、「余」は「あまり」の意であろう。【新大系】
『源氏物語』の巻数に関する最も古い記録。【新全集】
▶櫃
上方に蓋をひらく木箱。【新全集】
▶ざい中将
底本は「ざい」の下を二字分空白にし、右傍に細字で「中将」と記す。「在中将」ならば伊勢物語を指すか。【新大系】
底本二字分空白。そばに「中将」と細字がある。「在中将」は在原業平のこと。ここは『伊勢物語』をいうものであろう。【新全集】
▶とほぎみ、せり河、しらら、あさうづ
以下の四物語はいずれも散逸して内容不明。【新大系】
底本には「とをぎみ」。『源氏物語』蜻蛉巻に「せり川の大将のとほ君の…」とあり、この物語を素材とした絵のことが見え、また「しらら」も『十訓抄』にその名が見えるが、「とほぎみ」「せり河」「しらら」「あさうづ」はいずれも現存せず、内容は不明。【新全集】
▶はしるはしる
大急ぎでごく一部の巻を読んでは。「はしる〳〵」については諸説があるが、(借りた本なので)大急ぎで、の意に解しておく。【新大系】
とびとびにの意。他に、胸をわくわくさせ、帰途の車を走らせながら、などの解もある。【新全集】
▶心も得ず
筋のつながりも納得できず。【新大系】
p.50 人もまじらず、几帳のうちに
T字形の木組みに絹などを掛けたもの。遮蔽の実用に装飾をも兼ねた調度。【新全集】
▶引き出でつつ見る心地
一冊ずつ櫃から取り出して読む気持は。【新大系】
▶后の位も何にかはせむ
女性最高の栄誉たる皇后の位も何するものぞ。【新全集】
▶おのづからなどは
「おのづから」といった具合に。【新大系】
「など」の用法はやや特異である。いつの間にか、とでもいったふうに、の意か。【新全集】
▶そらに覚え浮かぶ
文章を暗誦していて、それがしぜんに浮かんでくる。【新全集】
▶法華経、五の巻
妙法蓮華経のこと。全八巻のうち、女人成仏・悪人成仏が説かれた第五巻は特に重んぜられた。【新大系】
『法華経』第五巻には女人成仏が説かれている。一般に女人は成仏できないとされていた当時、この五巻は特に尊ばれていた。【新全集】
p.51 言ふと見れど、人にも語らず
光源氏に愛された夕顔の女君。夕顔巻の女主人公で物怪のために夭折する。【新大系】
『源氏物語』夕顔巻に登場。愛人頭中将のもとを去って、身を潜ませているころ、光源氏に見初められ、その寵愛を得たが、やがて物の怪のために不幸な死を遂げた。【新全集】
▶宇治の大将
『源氏物語』宇治十帖の主人公薫。柏木と女三の宮(光源氏の正妻)との間の不義の子。誠実な、しかしながら憂愁を帯びた悲劇の人。【新全集】
▶浮舟
薫大将に愛された浮舟の女君。宇治の八の宮の劣り腹の娘で、薫と匂宮の二人から愛され、進退に窮して宇治川に投身するが、のち助けられて仏道に入る。【新大系】
宇治十帖の女主人公の一人。八の宮と侍女中将の君との間に生れ、常陸で成長、のち薫の愛人となったが、匂宮にも愛され、やがて宇治川に身を投じ、救われて出家した。【新全集】
▶まづいとはかなく、あさまし
執筆時から当時のわが身をふりかえった感想。【新大系】
「まづいとはかなくあさまし」は、晩年執筆時の反省である。【新全集】
▶花橘
「橘」はこうじみかん。初夏に芳香のある白い花をつける。その時期の橘を「花橘」という。【新大系】
花の咲いている橘。こうじみかんをいう。初夏に香り高い白い花をつける。【新全集】
家居の四季
p.52 いと白く散りたるをながめて
一面に散り敷いた白い花びらを、季節外れに降る雪かと眺めただろうに。もしも花橘が香らなかったならば。
足柄という山の麓に、鬱蒼と暗く続いていた木立のように、我が家は木々が茂っているので、十月ごろの紅葉は、あたり一帯の山のほとりよりも一段とすぐれて趣深く、まるで錦を引きめぐらしたようなのだが、外からやってきた人が、「いま、通って
底本「と」と読めるが、「今」の草体を誤ったもの。【新大系】
底本は「と」の文字であるが、通説に従って「今」とした。【新全集】
p.53 いま参りつる道に
どこにもひけをとるまいものを。世の中がすっかり嫌になってわびしく住んでいるわが家の、秋の終わりの景色だけは。
物語のことを昼は終日、考え続け、夜も、目の覚めている限りは、このことばかりを心にかけていたが、ある夜の夢に見たことには、「最近、皇太后宮の御子の一品の宮のご用のため、六角堂に遣水を引いています」と言う人があるので、「それはどうして」と
底本傍注によれば、皇太后宮妍子。道長の二女で、三条天皇皇后。寛仁二年(一〇一八)皇太后。【新大系】
底本傍注「妍子 枇杷殿」。道長の二女妍子(けんし)で三条天皇の皇后となり、寛仁二年(一〇一八)十月より皇太后。【新全集】
▶一品の宮
底本傍注によれば、妍子腹の三条天皇第三皇女、禎子。のち、後朱雀天皇皇后、後三条天皇母。ただし、禎子が一品に叙されたのは治安三年(一〇二三)。【新大系】
底本傍注「禎子 陽明門院」。妍子腹の三条天皇第三皇女。この年十歳で春宮(のちの後朱雀天皇)に入内、後三条天皇の生母である。ただし禎子が一品に叙せられたのは翌々治安三年(一〇二三)である。この一品の宮を一条天皇皇女修子内親王とみて、「皇太后」を作者の誤記とする考えもある。作者の住居(三条の宮の西)からすれば、このほうが妥当かもしれない。【新全集】
▶御料
ごれう【御料】天皇や貴人の用いるもの。衣服・飲食物・器物などについていう。【古・岩】
▶六角堂
京都市中京区堂之前町の頂法寺。【新大系】
京都市中京区堂之前町の頂法寺。本堂の構造が六角形なので、その名がある。【新全集】
▶遣水
やりみづ【遣水】川の水を庭園の中に引き入れて作った流れ水。【古・岩】
p.54 問へば、天照御神を
いつ咲くかと心待ちにし、散ってしまったと嘆く春の間は、まるで自分の家のものでもあるかのように、宮のお屋敷の花を眺めて暮らすことだ。
三月の月末ごろ、土忌みのために、ある人のもとに移ったところ、桜が満開で
後出(四〇三頁)の記事によると、皇室の皇祖神という認識は作者にない。【新大系】
天照皇大神。ただし後文(三二一ページ)によれば、作者にはまだ皇祖神という認識はない。【新全集】
▶一品の宮
一品宮(禎子)邸。【新大系】
▶土忌
陰陽道の信仰で、土公(つちぎみ)という地の神のいる方角を犯して家の手入れなどをすることをさけること。やむをえぬ場合、家人は一時他へ居を移した。【新大系】
土公(土公神)のいる所を犯して家の造作などをするのを忌むこと。土公は春三月には竈(かまど)にいる。やむなくこれを犯す時はほかに居を移すのが習慣だった。【新全集】
p.55 桜、盛りにおもしろく
いくら見ても見飽きなかった我が家の桜は散ってしまいましたが、その桜を、春も終わりになって散る寸前に、あなたのお宅で思いがけなく一目お目にかかったことです。
と、使いに持たせて贈る。毎年、桜の花の咲き散る折ごとに、「乳母が亡くなった季節だなあ」とばかり思われてしみじみとするのだが、同じころ、亡くなられた侍従の大納言の姫君の御手跡を見ては、わけもなく物悲しくなって
をかしげなる猫
p.56 五月ばかりに、夜、更くるまで
当時、猫は外国舶載のペットとして珍重された。『枕草子』(六段)には、猫に「命婦のおとど」と命名、従五位下を与えて宮中で飼った例も見える。【新全集】
▶なごう
「和(なご)く」の音便。ものやわらかに。【新大系】
「なごう」は「なご(和)く」の音便。のどやかにの意。「なが(長)く」ではない。【新全集】
▶あな、かま
しっ、静かに、と制止する語。【新大系】
「あなかま」は「静かに」と人を制する語。「あな」は感動詞。「かま」は形容詞「かま(囂)し」の語幹。【新全集】
▶尋ぬる人やある
探し求める人がいるかもしれないと思って。【新大系】
p.57 これを隠して飼ふに
身分の低い者。使用人。上衆の対。【新大系】
使用人など下賤な者。上衆(じょうず)に対していう。【新全集】
▶おとと
「おとうと」に同じ。同性の同胞の年下の者をいう。【新大系】
「おとうと」の約。男女に関わらず年下の同胞をいう。【新全集】
▶北面
北向きの部屋。建物の裏側で使用人などのいる所。【新大系】
北側の部屋。当時の貴族の寝殿造りの邸宅は、南面が表座敷で、北面は家族あるいは使用人の住む所であった。【新全集】
▶さるにてこそは
猫には猫なりの理由があって鳴くのだろうと思ってかまいつけないでいると。【新大系】
自分たちにはわからないが、猫にはしかるべき子細(何か鳴く理由)があって鳴くのであろう、の意。【新全集】
p.58 驚きて、いづら、猫は
どこか。どうしたか。場所や状態を問う不定称代名詞。【新大系】
どこ、の意から転じて、どれ、どうしたの、ぐらいの意。【新全集】
▶さるべき縁
前世の因縁。【新大系】
こうなるはずの前世の因縁。【新全集】
▶中の君
次女。下に妹がいなくても「中の君」という。ここは作者のこと。【新大系】
p.59 見えて、うち驚きたれば
そう思って見るせいで。「なし」は「見なす」「言いなす」等の「なす」の連用形の名詞的用法。意識的・意図的にそうするの意。【新大系】
「心の為し」の意。そう思って見るせいか。気のせい。
p.60 目のうちつけに
玄宗皇帝と楊貴妃が変わらぬ愛を誓ったという七月七日、そのまさに昔の今日にあたる日のことが知りたくて、今宵、彦星が織女に逢いに渡る天の川の川波のように、お願いの由をお打ち明けいたした次第です。
その返事は次のとおりである。
「うちつけ」は突然の意で、思いがけず唐突なこと、軽々しく深い考えのないさまなどに用いられる。ここは、(そういう先入観念をもって)ひょいと見るせいで、ぐらいの意。【新大系】
「ふと見たところ」ぐらいの意。「うちつけ」は深く考えない軽々しいさまをいう。「梅が枝に降り置ける霜を春近み目のうちつけに花かとぞ見る」(後撰・冬 読人しらず)、また「うちつけ目-ふと見た浅い見方」(源氏・浮舟)などの用例もある。なお、「見たところてきめんに」「猫の目がてきめんに」などの解もある。【新全集】
▶長恨歌と言ふふみ
唐の白楽天が玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋をつづった長詩。平安朝文学に与えた影響が大きい。「ふみ」は漢詩。【新大系】
▶物語に書きてある所あんなり
物語に翻案して(所持して)いる家があるそうだと。【新大系】
『伊勢集』『源氏物語』桐壺巻などに、宇多天皇が「長恨歌」の筋を絵に描かせ、和歌を詠み添えさせた由が見える。ここは「長恨歌」の内容を物語ふうに綴った作品であろう。【新全集】
▶え言ひ寄らぬに
先方がさして親しい間柄ではなく、貸してほしいと申し入れることが遠慮されたのである。【新全集】
▶さるべきたよりをたづねて
しかるべき手づるをさがして(その人のもとに)。【新大系】
▶契りけむ……
長恨歌の末尾に「七月七日長生殿、夜半無レ人私語時、在レ天願作二比翼鳥一、在レ地願為二連理枝一」とあり、それにちなんで、この日に借用を申し入れた。七月七日は七夕の日でもある。【新大系】
「長恨歌」の末尾に「七月七日長生殿、夜半人無ク私語ノ時、天ニ在リテハ願ハクハ比翼ノ鳥ト作(な)リ、地ニ在リテハ願ハクハ連理ノ枝ト為(な)ラムト」とあるのに因んだもの。【新全集】
p.61 立ち出づる天の川辺のゆかしさに
その月の十三日の夜、月がくまなく非常に明るいころ、家の者もみんな寝てしまっている夜中に、縁先に出て座って、姉が空をつくづくと眺めて、「たった今、私が行方も知れず飛び失せてしまったら、あなたはどのように思うでしょう」と尋ねるので、私は「うす気味悪い」と思っていると、姉もそのような私の様子を見てとって、別の話題に言いつくろって、笑いなどして聞くと、隣の家に、
不吉なこと。楊貴妃は殺され、玄宗は失脚、老残の身となるという物語の内容ゆえ、ふだんは他見を憚っていたが、今宵は牽牛と織女の恋の成就に心ひかれて、の意。【新全集】
▶言ひなして
ほかのことに言いまぎらして。【新大系】
意識的に話題を転じて。【新全集】
p.62 先追ふ車、止まりて、荻の葉
笛の音がまるで秋風の音のように素晴らしく聞こえるのに、風にそよそよと音を立てるはずの荻の葉は、どうして「そよ(そうですよ)」と返事もしないのでしょうか。
と私が言うと、姉は「なるほど」と言って次のように歌を詠んだ。
それにしても、荻の葉が答えるまで辛抱づよく吹き寄ることもしないで、そのまま通り過ぎてしまう笛の音の主がつれないと思われる。
このようにして夜が明けるまで物思いにふけりながら秋の夜空を眺め明かして、
「先追ふ」は、貴人の通行に際して、供人が声を出して先に立つこと。相当な身分の人であることがわかる。【新大系】
路上の人に注意を与えて道を譲らせること。先駆。相当の身分の人である。【新全集】
▶荻の葉
「かたはらなる所」の女の呼び名。【新大系】
隣家の女性の名。本来の名というより、何かのゆかりでつけられた呼名であろう。【新全集】
p.63 夜、明けてぞ、皆人、寝ぬる
治安三年(一〇二三)。作者十六歳。【新大系】
治安三年(一〇二三)、【新全集】